私のおはなし①
はじめましての方にも、そうでない方にも。
改めまして、金属造形作家として活動している池田ひなこと申します。
この制作日記をはじめたところなので、改めて自己紹介として自分のことを書いておこうかと思います!
あんまり自分の事を話すのが得意ではなくて、とっさに聞かれるといつも変な受け答えをしてしまってる気がするので・・・ここに書き綴っておこうと思います(笑)
よろしかったらお付き合いくださいませ。簡単なプロフィールはこちら。
1993年に3人兄弟のぼんやりした末っ子として千葉県に生まれ、埼玉県で育ちました。
⇧ちなみに私の数年前の姿をこんなイラストで描いてくれたのは、私のひとつ上の姉。
両親も姉も親戚も、絵を描いていたりものづくりをしている人達が多く、なんとなく小さい頃から、美術には親しみがあったけれど、特に大人しく絵を描いたりしている子供ではなく。
病弱ではあったけど、外で虫捕りをしたり走り回ったりして遊ぶ子供でした。
そして勉強がとにかく苦手、ちっともできなくて・・・いつも成績は下の方。(-_-;)
集団生活というのも小さい頃からどうしても苦手で、学校に行くといつも緊張して声が出なくなったりしている子供でした。
授業中の話声やそわそわ動いたりする周囲の子たちに気を取られたり、椅子に敷いて座らなければならない防災頭巾の感触とかが、どうしても気になってしまったりと・・・多分ちょっと神経質なところがあって、いろんな方向に気が散るので授業はまったく頭に入らず。
おまけに小学生の時は、先生の話に集中しようとすればする程、先生の顔が大きくなったり小さくなったり、黒板がぐねぐね波打って見えたりと・・・変な現象が起こり、本当に授業が苦痛の時間でした。
(今では起きなくなりましたが、どうやらこれは「不思議の国のアリス症候群」っていう脳の異常症状?軽い病気?みたいなものらしいです、多分。ほんとに謎の現象だった。)
中学では勉強ができなかったからなのか??担任の先生からほぼ毎日殴られ蹴とばされ、髪の毛を引っ張りまわされいつも怒鳴られ・・・最終的には先生からの陰湿な嫌がらせを経験し。
今の時代に聞くと若干バイオレンス?な体験をして、高校進学が危ぶまれたので急遽学校を転校したりと色々苦い思いもしつつ、なんとか学生生活を送ってきました。(正直この理不尽な暴力のおかげで?だいぶ神経は図太くなり、多少の事ではへこたれなくなりました。笑)
高校3年間はちっとも真面目に勉強せず!アルバイトばかりして学校さぼって原宿に遊びに行って、古着屋さん巡りをして遊んでばかりな高校生でしたが、その経験からすっかりファッションが好きになり。
いつしか頭の中は常にファッションのことだらけになり、そのうちに自分で服や帽子やバッグなどを作ってみたくなりました。
そこで高校卒業後は、ファッションの専門学校「文化服装学院」に行くことになりました。
文化服装学院では、「ファッショングッズ科」という帽子・バッグ・靴・ジュエリーを制作する科に3年間通いました。
(⇩学生のときに作った変な帽子たち。)
最終的には、一番予想外だったジュエリーの制作にすっかり夢中になり、金属の魅力にどんどん引き込まれていきました。
学生の時はとにかく自由に制作して、課題をやっているのがとても楽しかったです。
2年生の頃には、ジュエリー職人になりたい!という気持ちが芽生えてきて・・・制作の道で就職先を探し始めましたが、職人を目指して就職というのは想像以上に厳しい世界でした。
卒業を目前にして就職先は見つからず・・・かといって制作以外の道で就職というのは、どうしても選択肢に入れられない頑固な自分が顔を出す。
そんなときに担当の先生から「独立しちゃえば?どうせいつかは1人でやりたいんでしょ?」と言われ・・・あ、確かに!と妙に納得して、そのまま就職せず卒業と同時にフリーで活動を開始しました。
(※卒業制作として作った作品です。詳細はこちら➡夢みたジュエリー工場)
しかし、卒業したばかりで道具も場所もお金もなし!ひとりで何をやったらいいのか・・・
とにかく手を動かさなければと思い、小さなアクセサリーだけを作り続けて・・・特に発表することもなく、時間だけが過ぎていきました。
長くなってしまったので、次につづく・・・。